「~となる」を使われると翻訳が困難となる
皆さんこんにちは。リンゴプロ翻訳サービスの中村です。
私は仕事柄、特許明細書を読むことが多いのですが、翻訳者として少し扱いに困る表現があります。拙著『和訳と英訳の両面から学ぶテクニカルライティング』でも少し触れていますが、本稿では、そんな表現の1つである「~となる。」を取り上げます。
この表現は本当によく見かけるのですが、「容易となる」と「可能となる」を除き、大半が明細書中で機能不良を起こしており、翻訳者を悩ませます。
特許明細書における「~となる。」がどう英訳されるのかを、実際に訳して考察してみましょう。
【例1】
(このような形態を採用することで、)第1のホログラム回折格子及び第2のホログラム回折格子の製造ばらつきによって生じる画像の輝度バランスが最適になるように調整することも可能となる。(JP6690550B2)
まず、「製造ばらつきによって輝度バランスが生じる」という表現が不可解です。「バランスをとる」、「バランスが乱れる」、「バランスを失う」ならわかりますが、「バランスが生じる」などという言葉が本当に存在するのでしょうか。
原著者の意図する内容は、「回折格子の製造ばらつきによって画像の輝度に違いが出るんだけど、この形態を採用することで、輝度差のバランスを最適化できるようになるよ」ということと思われます。特許明細書の英訳は、原文の内容を忠実に反映することが一般に求められますが、ここでは便宜上、想像される真意を反映して訳してみます。
Adopting such a form can also optimally balance the variations in image brightness caused by variations in manufacturing the first hologram diffraction grating and the second hologram diffraction grating.
「可能となる」をcanで表しましたが、make it possible toやenable/allowで表せることも多いでしょう。この原文は、「可能となる」以外の部分に問題があって焦点がズレてしまいましたが、「可能となる」という表現が英訳時に支障となることは、それほど多くありません。
ただ、「輝度バランスが最適になるように調整することも可能となる」という表現はやや冗長で、「輝度バランスを調整して最適化することも可能になる」としたほうが良いでしょう。文章は簡潔であることが大切です。
【例2】
この場合、回転部材が係止部材に重ね合わされた状態で係止部材に向かって押下されると、係止部材の係止機構によって回転部材の回転が係止され、装飾体取付部315’’a、315’’bが「閉じた」状態となる。(JP7016202B1)
「状態となる」という表現も特許明細書で頻繁に見られますが、未熟な翻訳者や機械翻訳によってbecome a closed stateなんて訳されてしまうと大変なことになります。なんだか鎖国したみたいですね。「閉じた状態となる」は、「close(閉まる)」の一言で事足りるでしょう。「状態となる」は不要です。
【英訳例】
On this occasion, pressing the rotating member down toward the locking member with both members being overlapped with each other activates the locking mechanism of the locking member to stop the rotating member from rotating, so that the ornament attachments 315” and 315”b “close”.
同様の例をもう1つ紹介します。
【例3】
すなわち、表示器11に表示画像が表示されている場合には、第2表示器91は、補助画像を表示しているときと比べて表示器11からの光が通過する量が大きい状態となる。(JP6822473B2)
「…場合には、第2表示器91は、」まで読んだ時点ですでに嫌な予感がし、最後まで読んで、その予感が正しかったことを確信します。先ほどと同じで、「量が大きい状態となる」は、「量が増す」と書けば半分以下の文字数で通じます。
【英訳例】
In other words, on an occasion when an image is displayed on the display 11, more amount of light from the display 11 passes through the display 91 than on an occasion when an auxiliary image is displayed.
特許明細書では、「表示画像が表示される」のような意味のない冗長表現が頻繁に登場しますが、良心的な翻訳者であれば、英訳時にこれらの冗長表現を容赦なく切り落とします。
【例4】
インバータとして動作しているときには、駆動トランジスタ6701及び相補用トランジスタ6702は共に第1端子がソース端子、第2端子がドレイン端子となる。(JP7304929B2)
「端子となる」という表現を見ると、普通の語感を備えた人なら、「端子になる前は何だったのだろう」と想像します。「~となる」という動詞には、「形が変わった」という含みがあるからです。この文脈では、端子の役割が変わるだけなので、「~として働く」や「~として機能する」と最初から書いてもらえると、翻訳者としては助かります。英語だとserve asが概ね該当します。
【英訳例】
On an occasion when the driving transistor 6701 and the complementary transistor 6702 operate as inverters, the first terminals serve as a source terminal and the second terminals serve as a drain terminal.
【例5】
従って、調光装置における遮光率は高い値となる。(JP6892213B2)
繰り返しになりますが、「~となる」という表現には、「恩が仇となる」のように、「形が変わる」というニュアンスがありますから、「率が値となる」のような表現も、今すぐに止めたほうが良いでしょう。率が50%から60%に変わっても、「率の値が変わる」のであって、「率が値に変わる」わけではないからです。「遮光率が高まる」や、「遮光率の値が増大する」等に言い換えられると、誤訳されたり、稚拙な英文に翻訳されたりするリスクが下がります。
この文を英訳するとなると、私なら、調光装置を主語にして、「調光装置が高い遮光率を呈する。」という意味合いの英文に書き換えます。
【英訳例】
The dimming device thus presents a higher light-shielding ratio.
【例6】
このような迷光は撮像時にノイズとなり、S/N比を低下させる要因となる。(JP7381508B2)
「ノイズとなる」はなかなか翻訳に苦労します。私はact asを使いましたが、becomeでも良さそうです。「要因となる」は、causeだけで表せますが、直訳的なbecome a factorも使えそうです。
この2つの「となる」は、どちらも用法としては問題ありませんが、同じ表現をわざわざ2度も使う必要はなく、「このような迷光は、撮像時にノイズとなってS/N比の低下をもたらす。」または「このような迷光は、撮像時にノイズとなってS/N比を下げる。」のほうがスッキリしています。
【英訳例】
Such stray light acts as noise at the time of imaging, causing a reduction in S/N ratio.
【例7】
異方性導電接続層138は、熱硬化性、又は熱硬化性及び光硬化性の樹脂に導電性粒子を混ぜ合わせたペースト状又はシート状の材料を硬化させたものである。異方性導電接続層138は、光照射や熱圧着によって異方性の導電性を示す材料となる。(JP6468684B2)
「材料となる」も、まったく存在意義がなく不要です。削除したほうが良いでしょう。ただしこの文には、それ以上に大きな問題があります。最初の文で、「異方性導電接続層138は、…材料を硬化させたものである。」と言っているのに、続く文で、「異方性導電接続層138は、…材料となる。」と述べており、再び材料に戻っていくという摩訶不思議な現象を述べてしまっているということです。
この文章を文字どおりに英訳しても、読んだ人は頭を抱えるだけですので、次のように書き換えて英訳することになります。
異方性導電接続層138は、熱硬化性、又は熱硬化性及び光硬化性の樹脂に導電性粒子を混ぜ合わせたペースト状又はシート状の材料を硬化させたものである。異方性導電接続層138は、光照射や熱圧着によって異方性の導電性を示す。
The anisotropic conductive connection layer 138 is made of a cured paste or sheet of material in which conductive particles are mixed with a thermosetting resin or a thermosetting and photocurable resin. The anisotropic conductive connection layer 138 exhibits anisotropic conductivity when irradiated with light irradiation or thermally press-bonded.
【例8】
特に、BTストレス試験前後におけるトランジスタのしきい値電圧の変動量は、信頼性を調べるための重要な指標となる。(JP6468684B2)
こちらの「となる」は、ダメというわけではないものの、「指標である」と書いてくれたほうが翻訳者としては助かります。繰り返しになりますが、「となる」という動詞からは、「形が変わる」というニュアンスが感じられるからです。変動量=指標であり、変動量が指標に変わるわけではありません。
【英訳例】
In particular, the amount of variation in the threshold voltage of the transistor before and after a BT stress test is an important indicator for examining the reliability of the transistor.
これらの例を参照すると、日本語の特許明細書には、「~となる」という表現が無駄に多用されていることが改めてよくわかります。中でも「状態となる」という表現は、英訳時に邪魔になることが多く、これを直訳した「brought into a state in which …」というフレーズを検索すると、日本企業の特許が英訳されたものばかりがヒットします。英語として間違っているわけではありませんが、ネイティブがほとんど使わない冗漫な言い回しであることが、この事実からわかります。多くの特許事務所が、安くない翻訳料を払って、日本人しか使わない英語表現に書き換えられた英訳を受け取っているわけですね。そのような実態を考慮すると、「状態となる」は特許明細書から撲滅するのが良いと私は考えています。
上記のような特許明細書は本当に氷山の一角で、大半の特許明細書が、このような問題を大なり小なり抱えていて、その問題が英訳に影響を及ぼしています。明細書が英訳されることを見据え、日本語で書き起こす段階から翻訳者の視点を取り入れると、英文明細書の品質だけでなく、実は和文明細書の品質も向上します。
- 「は」と「が」の使い分け
- 主語と述語の選び方
- 読点の入れ方
- 語順の決め方
- 文のつなぎ方と区切り方
など、和文明細書の作成に役立つテーマで、時間を見つけて投稿してまいりますのでご期待ください。また、これらのテーマでのセミナーや明細書の添削のご希望がございましたらお気軽にご相談ください。