初めて生で見たあの人についての話

こんにちは。リンゴプロ翻訳サービスの中村です。ちょっとしたきっかけがありまして、今日は実験的に普通のブログを書いてみました。

私、先日ついにやりました。

生まれて初めて、浜田省吾さんを生で見たのです。

私は決して、ファンクラブに入るようなコアなファンというわけではないのですが、ここ数年、一度は省吾さんのライブを見てみたいと思っていました。しかし、2020年と2021年はコロナ禍でツアーが中止。昨年は久しぶりにツアーが敢行されましたが、チケット争奪戦を勝ち抜けず断念。なかなかその機会が得られませんでした。

浜田省吾さんは、地道なライブ活動で、というよりライブ活動だけで人気を獲得してきた純粋なミュージシャンです。テレビには一切出ませんし、それ以外のメディアに出ることもほとんどないので、若年層だと名前しか聞いたことがないという方も多いでしょう。しかし、浜田省吾さんは金さえ払えば見られるというミュージシャンではまったくありません。日本で最もチケットが取れないアーティストと言われるだけあって、どの公演も買いたくても買えないプラチナチケットであり、その状態が40年以上続いているのです。ファンクラブ会員であってもライブチケットは抽選制で、手に入る確率は一般の人より高いものの、希望の会場や席種を確保するのはなかなか困難なようです。

とはいえ、省吾さんももう70歳。いつまでもコンサートができるわけではありません。昨年に続き、一縷の望みをかけて、2日間行われる名古屋公演の全席種に応募しました。

発売されたチケットはとっくに完売しており、残されたチャンスは、「公式トレード」と呼ばれるわずかなキャンセルチケットのみ。公演日まで毎日行われる抽選は、やはり落選続きでしたが、名古屋公演2日目の朝、土壇場でついにチケットが当選したのです。

今はコンサートに1万円以上もかかるのか…

そんなわけで、12月10日、私は息子たちの夕食を早々と準備し(私はシングルファーザーです)、十数年ぶりの日本ガイシホールです。わが家からは少し距離がありますが、電車で1本で来られる比較的便利な立地です。

16:20ごろ。この日は割と暖かくて良い天気でした。

初めて生で見た浜田省吾さんは、若い頃のような筋骨隆々の体格ではありませんでしたが、70歳とは思えないほど元気で若々しく、しっかりと鍛えてみえるのは遠目からでも一目瞭然です。

省吾さんは自身のことを「ソングライター」と称することが多く、「シンガー」というアイデンティティは薄いようですが、シンガーとしても卓抜した存在であることは間違いありません。高音部を観客に歌わせたり、ファルセットでごまかしたり、曲自体のキーを下げたりすることはなく、本当にCDレコーディングのようなクオリティで、その声量と声質、歌唱力には脱帽するばかりです。加えて、ギターの町支さんをはじめ、脇を固めるメンバーの演奏も本当にプロフェッショナルで、まったく乱れることがありませんでした。

私が前回この会場を訪れたときにはまだ「レインボーホール」という名前でした。

————- ここから少しネタバレあり ————-

私は40年来の浜省ファンというわけではまったくありませんが、オープニングの「愛の世代の前に」から2度目のアンコールの「君が人生の時」まで、聴いたことのない曲など1つもなし。大半の曲は歌詞も知っており、その曲とリンクした記憶や思い出がありました。50年余りのこれまでの人生の中で、特に強く意識しなくても、折に触れて省吾さんの曲に自然に耳を傾けていたということを改めて認識しました。決して良席ではありませんでしたが、ガイシホールはそれほど大きな会場でないため、十分によく見えました。

今回のツアーは、「Youth in the jukebox」という副題のとおり青春時代がテーマだったことから、セットリストは初期の曲で固められていましたが、中期以降の作品も、「I am a father」「光と影の季節」「光の糸」「青空のゆくえ」「あれから二人」など名曲揃いですので、ファンクラブに入って来年も見に行こうかと思案中です。あれだけ元気なら、まだしばらくは全国ツアーに出られるでしょう。それよりもオーディエンスの高齢化のほうが心配です。会場内では、51歳の私よりも年配と見られる方がほとんどでしたし、実際、ライブの中ほどで行われた省吾さんのMCによる年齢確認コーナーでも、50代の歓声が最も大きく、それに続くのが60代で、10代以下は本当にわずかでした。

————- ネタバレ段落終了 ————-

私は次世代に省吾さんの音楽を伝える浜田省吾非公認の末端ポンコツエヴァンジェリストとして、クルマの中で息子たちに聴かせていますが、残念ながら、キリスト教の布教活動のために来日した当初のフランシスコ・ザビエルと同じで、成果は出ていません。省吾さんの曲は、ある程度齢を重ねないと、その世界観を理解できないのでしょう。「I am a father」は、父親になったことがある人でないと堪能できませんし、「もうひとつの土曜日」には、昭和の時代の恋愛観が色濃く反映されています。「路地裏の少年」も「J. Boy」も「家路」も、やはり平成生まれの人には歌詞の内容が共感されにくいという側面はあるでしょう。省吾さんの曲は、歌詞もその世界観の構築に大きな役割を果たしています。

その一方で、年齢層に関係なく受け入れられそうな名曲も多々あります。このあたりの曲から浜田省吾さんに触れるのも悪くないでしょう。

↓↓「光の糸」↓↓

紛うことなき神曲。優しさに溢れた歌詞も感動的。

↓↓「光と影の季節」↓↓

ライブへの渇望を促し、懐かしい人への思いを駆り立てる名曲。

↓↓「悲しみは雪のように」↓↓

ドラマ「愛という名のもとに」(1992年)の主題歌としてあまりにも有名

最後にトリビアを1つ。日本ガイシホールはJR笠寺駅からすぐのところにありますが、帰りは駅が非常に混みますので、名古屋・金山方面に向かう方は、名鉄大江駅の利用がおすすめです。ガイシホールから西へ1.2 kmほどですので、歩いても15分くらいですし、大江駅は急行が停まるため、電車の本数も多く、所要時間もほぼ同じでありながら、混雑度は笠寺駅の100分の1、つまりまったく混んでいないというです。

以上、私が生まれて初めて生で見たあの人とは、日本が誇る伝説のロックシンガー・ソングライターの浜田省吾さんでした。

私は声が大きいので、お隣さんには迷惑だったかも。ということで、席番は伏せます。

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